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3.11東日本大震災 僕たちが見た記録
僕たちが見た記録 part1

3.11東日本大震災 僕たちが見た記録 part1 平成24.4.19作成

東日本大震災から1年経った今も尚、現地に残る大きな爪痕

2011年3月11日午後2時46分、百年に一度あろうかという大地震に見舞われた。
多くの犠牲者を出し、広域にわたって甚大な被害を受けた。
被災地では、今日も復興を目指し日本の全国各地からボランティアの活動、
救援の手が寄せられているがいまもなおその道は険しい。
それでも東日本の人々は復興の日を信じ立ち上がっている。
復興は、最大の課題ではあるが、私たちはこの災害がいかなるものであったか
知る事が大切であり歴史を語り継がなくてはならない。風化させてはならない。
この度、被災地の南三陸町に行き、今の自分に出来る事は被災地の今と震災についてを
一人でも多くの人に伝えたいと思います。

宮城県 南三陸町

津波によって町の中心部が壊滅し、志津川地区は住宅の8割が流失した。
1年前、数多くの家が流されている映像が報道されましたが、今もそこに家は無くこのような状態の土地がいたるところにあります。

津波に流された車や船が今も一部残っています。
海からの距離わずか400メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の公立志津川病院。 東日本大震災で入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、院内では看護師と看護助手計3人も波にのまれた。 病院は東棟(4階)と西棟(5階)の2棟。津波は4階まで達した。
普段の南三陸町志津川湾はとても穏やかで綺麗な海です。 養殖が盛んで海産物にも恵まれ観光客もよく訪れていた。
漁師の人々の中には、津波で船を失い職をを失った人も多く居るという。震災後から見るとだいぶ片付いたと言われているが、折れた電柱、壊れた水門、がれきの山…。 震災から1年、多くの人が復興に全力を捧げ活動をしてもいまだこれだけの残骸が残っている事に驚きました。 テレビで知る事しかなかった東日本大震災。実際に現地に足を運び見た東日本大震災の爪痕。 その爪痕を見て、被災地の今のこの現状を一人でも多くの人に知ってもらい、 何かを感じてほしいと思います。
普段の穏やかな海からは想像も出来ぬ程の破壊力を持ち、 襲ってきた津波。
1年経った今でもその激しさを想像をするには充分すぎる程の爪痕を残しています。
がれきの町に赤い鉄骨だけを残す3階の建物。南三陸町の防災対策庁舎は、津波の激しさと被害の大きさを物語る施設として繰り返し報道されてきた。
屋上に避難した町職員約30人のうち助かったのはわずか10人という悲劇の現場。防災無線 声の主姿なく「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」「異常な潮の引き方です」「逃げて下さい」防災無線の呼びかけが多くの命を救った。
しかし声の主の女性職員は震災から1ヵ月余り過ぎた4月23日遺体で発見された。地震直後、2階にある危機管理課の放送室に駆け込み防災無線のマイクを握った。そして、30分間防災無線をつづけました。津波の後屋上で生存が確認された10人の中にはその女性職員の姿はなかった。南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いした。多くの職員とともに果たすべき職責を全うした。防災無線を聞き高台へ逃げたという住民は多く、彼女の声は住民の記憶に深く刻まれている。
町庁舎と仙台法務局(気仙沼支局)は共に被災し、保管していた電子化済みの戸籍データが完全消滅したとの懸念が大いにあったが同法務支局の上層階で約1年前の戸籍データ副本が発見され、最悪の事態は免れた(3月22日発表)「南三陸町1万人不通」。人口約1万7600人の宮城県南三陸町で、約1万人と連絡が取れない。3月13日の朝刊はそんな見出しで報じた。被害の全容が把握できず、一時は町民の半数以上が犠牲者となる最悪の事態も心配された。町職員の被災、交通、通信の途絶、避難所に押し寄せる住民。。。混乱を極めた現地には、情報を発信するすべもなかった。壁の3階部分に津波の高さを記している。色々な形で津波の脅威を後世に伝えようとする気持ちが伝わる。

宮城県 南三陸合同庁舎

津波到達時刻を指し続ける時計

昭和55年3月築建物はあるが
津波の壮絶さが伝わってくる。


サケが昇る穏やかな川。しかし津波が来ると川が津波の威力をアップさせてしまうという一面もあります。
堤防が壊れている姿が津波の勢いを語っている。
道路脇にも被害車が残ってます。
日本全国多くの人が、自動車や家が流されている映像をニュース等で見て衝撃を受け心を痛めたとは思うが、被害にあった自動車の姿は想像を遥かに超えるもので津波の破壊力を想像させる。
東北3県のがれき推計量は、約2,247万トン(岩手県約449万トン、宮城県約1,570万トン、福島県約225万トン)であり、これは阪神・淡路大震災の1.6倍、全国の年間一般廃棄物総量の2分の1に相当する(東京新聞2011.6.25)。
津波以前にはこちらの小学校のグラウンドでは、子供たちが元気に遊んでいただろうと思うグラウンドも今は、がれき置き場となっていて被害を受けた小学校の姿は痛々しく、切なさを感じさせる。一日も早く子供たちの元気な姿が戻ることを願います。
被災者は人間だけでなく、木々にも及んでいる。手前の茶色に染まった木々は津波を被って枯れてしまったらしい。大震災から1年経過した被災地の今を、目の当たりにして改めて自然の驚異を感じました。
今回、被災地に赴き南三陸町観光協会の方々が行っている、語り部の自らの震災体験を聞くことができ、そして、家族全員を津波で失った方のお話、津波で職を失った方のお話し等、出来事を聞かせていただき自分は、被災者の方に頑張ってくださいという言葉が、とても重く感じ伝えることが出来ませんでした。しかし、それでも被災地の方は前を向き復興に向けて色々な形で進んでいる事を知る事ができ貴重な体験になりました。いまだ、津波の爪痕が残る被災地には、まだまだ全国からの復興支援が必要と感じます。一人でも多くの人が被災地に行くことだけでも、復興の手助けになるので、実際に、被災地に行き歴史の1ページを感じてみてはいかがでしょうか。東日本大震災という新たな歴史を知る事は、この歴史上を生きている人間にとって重要な事だと感じました。

3.11東日本大震災 僕たちが見た記録 part2 

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