1932年、ニューヨークにて、その輝かしい歴史の幕を開けたハリー・ウィンストン。創始者のハリー・ウィンストンは生涯をかけてダイヤモンドを愛し、眩い煌めきを芸術品へと昇華させ、ジュエリーデザイン界に大革命を起こしました。
小さな宝石店の息子として育ったハリー・ウィンストンは、幼い頃から宝石の質やポテンシャルを判断する審美眼と鋭い洞察力を持っていました。そんな彼を象徴する少年時代のエピーソードがあります。
12歳の時、通りがかった質屋のトレイで緑色の石に心を奪われたハリーは、その石を25セントで購入。家に帰り、父親に見せると本物のエメラルドであることがわかり、2日後に800ドルで売却されたという。生まれながらの宝石の天才は、貴石への情熱を求め続け、15歳で学業を終了。父親が経営するロサンゼルスの宝石店で働き始めました。そして、1920年、ニューヨークに前身となるプレミア・ダイヤモンド社を設立します。
資産性のある富豪たちの遺産となった宝石に着目したハリーは、エステートジュエリーの宝石をカットし直し、輝きを引き立て、現代的なスタイルにセッティング。
そのモダンなデザインがセレブリティやメディアの目に留まり、ハイジュエリー界のリーダーとしての地位を築き始めました。
1932年、プレミア・ダイヤモンド社を閉鎖したハリーは、デザインから製作、販売までを担う、自身の名前を冠したブランド、ハリー・ウィンストンを設立。歴史的に価値のある有名な宝石の1/3がハリーの手に渡ったと言われ、なかでも有名なのが、45.52カラットの「ホープ・ダイヤモンド」です。
1668年よりフランス王室が所有し、代々受け継がれてきたことから「フレンチブルー」と呼ばれたブルー・ダイヤモンドは、数々の神秘的な伝説を持ち、そのストーリーも宝石の魅力を高めました。1949年にこのダイヤモンドを手に入れたハリーはその後、アメリカ国民への贈り物として「ホープ・ダイヤモンド」をワシントンD.C.のスミソニアン研究機構に寄贈。以来毎年約700万人以上が訪れるという見学者に希望を与え続けています。
1960年、サロンをニューヨーク五番街へ移転。移転先には、現在もハリー・ウィンストン ニューヨーク本店が建ち、デザインスタジオと数々のアーカイブが保管されています。
1978年、ニューヨーク市内で人生の幕を下ろしたハリー・ウィンストンですが「ダイヤモンドに対する情熱を世界中の人々と分かち合いたい」と願った思いは、いまもなお受け継がれています。
Copyright © 2016 KAITORIKING, All rights reserved.